わざと考えないようにしている

何がしたいかわからないまま、なんとなく人生が半分くらい過ぎた

最後が苦手です

最後が苦手というのは言葉足らずで、最後と向き合うのが苦手です。

もしくは、下手くそです。

学校であれば転校や卒業、会社であれば異動や退職、恋愛であれば振ることや振られること、あと、誰かが亡くなる時とか。

最後と向き合えなさすぎて、仕事を変えること、付き合った人といい感じで別れること、亡くなる前に感謝を伝えることなど、できなかったことが今までにたくさんあります。

その度に、あーまたこの感じだ、となります。

終わり良ければすべて良しという言葉があるくらい最後は大事なのに、それと向き合えないなんて致命的だと思います。

でも、深く入り込む前にやめるとか、悲しいと思わないようにするとか、あえて向き合わないとか、対処法はいくつか見つけました。

ただ、それが良いか悪いかは別の話です。

 

書いてはみたものの、この話にはまだ落とし所がなく、これからの人生の中でわたしの結論を出さないといけない気がしています。

単に慣れなのかもしれないし、このまま自分の最後を迎えるかもしれません。

その時も下手くそに終わるのかもしれないなーと思っています。

とりあえずこの話は、あえて向き合わないという対処法をとって、寝かしておきます。

おやすみなさい。

愛という名のもとに

というドラマが昔ありましたね。

野島伸司さん脚本らしいです。

観たことはありませんが、おもしろそうなので気になっています。

さて、標題のとおり、わたしの名は愛といいます。

わたしが生まれた世代は「愛」という名前が流行っていたようで、比較的よく見る名前でした。

小学生の頃は、アイアイという歌が教科書に載っているがためにからかわれたり、画数が多くて習字でうまく書けなかったりと、あまり好ましく思っていませんでした。

 

何年か前に、母から名前の由来を聞いたことがあります。

父がつけたようで、他に色々な候補があったものの、あまり自分の意見を主張することがない父がどうしても譲らなかったそうです。

なぜ愛にしたかったかというと、悪い意味がないから、とのことでした。

いやでも、愛憎劇という言葉もあるし。

どんな言葉も単体で見れば悪い意味はないかもしれないし。

とかなんとか当初は天邪鬼に考えましたが、今は素直にいい言葉だなと思います。

確かに、悪い意味はないかもしれないね。

名は体を表すというけど、わたしはどうだろう。

 

父には何も伝えることができませんが、父からもらったたくさんのギフトの中で、ありがたいランキング一位です。

なかなかセンスいいと思うよ。

人生で二回だけ、夢日記をつけたことがあります

夢日記は、夢と現実の区別がつかなくなるから危険だといわれています。

あまりつけてはいけないのかなと思いつつも、わたしは、人生で二回だけ夢日記をつけたことがあります。

なぜつけたかというと、一生忘れてはならないと思ったからです。

そもそも人に読ませるようなものではありませんが、このまま誰の目にも留まらぬまま、いつかこの世から消えてしまうのが少しさみしい気がしたので、ここに書くことにしました。

なお、夢日記を紹介する前に背景を説明すると、わたしは中学一年生の時からSMAPのファンで、青春がSMAP一色だったといっても過言ではないほど好きでした。

この夢は、SMAP解散騒動真っ只中で見たものです。

 


2016/12/04
中居くんと仲良しになる
収録現場いたり一緒になること多い
KinKi Kidsのコンサートでも会う
解散はどうしようもないって だれかは稼業継ぐとか
暑いからジャイアンツの帽子くれた
中居くん仕事終わりでお腹空いてる
福岡ドームの前みたいなところで一緒に座ってた
収録みてたとこ伝えたら喜んでた 隠し芸大会優勝したらしい
お父さん海外にいて快適で帰ってこない 気持ちわかる
中居くんと仲良くなれてうれしい気持ち

 

2016/12/18
SMAPの解散ライブみたいなのに参加 やっぱり仲良くなさそう
そこで何かあったけど忘れた
なぜかキムタクの弟と同居 仲良くなる 高校卒業したら海外で働くらしい
慎吾に隠し子疑惑 近くにいた井上公造に聞かれてしまう

 

 

内容がアホすぎて自分でうけましたが、よっぽど解散騒動で苦悩してたんだろうと思います。

ちなみに、SMAPは夢で見たとおり解散しましたね。

家業は継いでないし解散ライブはなかったけど、わたしの青春はやっと終わりました。

わたしはよく献血にいきます

わたしはよく献血にいきます。

よくといっても、献血したあとは期間を空けないといけないので、1週間ごとにできるとかそういう感じではありません。

でも、成分献血という赤血球を体に戻す献血なら、最短で2週間空ければまた献血できます。

なぜ献血にいくかというと、恐らく、人の役に立っていると実感することで、自尊心を保とうとしているからです。

だからなんとなく、不純な動機で献血してるなと思っていました。

悪いことは全くしていないけど、純粋にいいことはしていないような。

 

数日前、成分献血しにいきました。

 

献血を受ける前は必ず問診があって、その日担当の先生が個室で簡単な問診をしてくれます。

今回は御歳70歳以上かと思われる先生だったのですが、

 

「あなたは今まで7回献血してくれていますね。7人の命を救ったということですよ。ありがとう。」

 

と言われました。

 

7人の命を救ったということですよ。

 

ああ、そういえば、そういうことですよね。

考えたらわかることだしそのための行為なのに、今まで気づいていませんでした。

 

わたしは、人の命を救うことができる医者に憧れていました。

ブラック・ジャックも全巻読みました。

医者という職業は最も尊いと思ったし、わたしは人の命を救う人にはなれなかったと少しだけガッカリもしました。

でも、わたしは2週間ごとに人の命を救っているのです。

 

30年以上生きていても新しい価値観に出会うことがあって、生きることはやめられない、と思います。